海事代理士事務所 CADによる作業を請け負います。 (船舶、機械図面など)
宗谷は、海上保安庁の砕氷船。巡視船としての船番号は PL107。前身の大日本帝国海軍特務艦時代も含めて昭和期の多くの歴史的事件に関わり、特に1956年から1962年まで南極観測船を務め日本の南極観測事業の礎を築いたことで広く知られる。海上保安庁の船としては現存する唯一の保存船で、現存する数少ない帝国海軍艦船でもある。ソビエト連邦向けの商船として日本で建造されたが、日中戦争の激化に伴い引き渡し不可を決定。一旦栗林...
主要要目基準排水量 13,950t主要寸法 長さ 197m、幅 33m、深さ 22m、喫水 7m主機械 ガスタービン4基2軸馬力 100,000PS速力 30kt主要兵装 高性能20ミリ機関砲×2、VLS装置一式、魚雷発射管×2、哨戒ヘリコプター乗員 約380人最大搭載機数:11機(...
阿賀野型軽巡洋艦は第四次補充計画によって、水雷戦隊旗艦として建造されました。ミッドウェイ海戦が終わったあとに配備された、大戦後期の軽 巡洋艦です。 矢矧は阿賀野型三番艦として1943年末に竣工しました。主砲は15cm連装3基、 61cm魚雷発射管4連装2基、高角砲は長8cm砲連装2基を搭載。初陣は1944年6月のマリアナ沖海戦。第10戦隊旗艦として第1航空戦隊の護衛にあ たりました。そして、1945年4月、天一号作戦遂行のため...
昭和20年4月、戦艦大和と軽巡矢矧、駆逐艦8隻で編成された第二艦隊。雪風は、同型艦の磯風、濱風とともに、その戦列に加わりました。4月6日午後、艦 隊は沖縄救援のため、瀬戸内海から出撃。「天一号作戦」と命名された本作戦は、航空機による支援はなく、生還の可能性は極めて低い作戦でした。 雪風は他の艦艇と共に、懸命の防空戦闘を行いましたが、大和が壮絶な最後を遂げたのは歴史の示すとおりです。雪風は、本作戦でも幸運艦...
戦艦「長門」は、大正8年(1919年)11月9日進水式が執り行われ、大正9年(1920年)11月25日、八八艦隊計画の一番艦として竣工し、竣工当時、世界最大の41センチ主砲を装備、最大速度は26.7ノット(最終公試時)を記録し、世界最強最速の戦艦でした。 連合艦隊旗艦を長く務め、日本の海軍力を誇示するため広報活動に重用され、「長門と陸奥は日本の誇り」と呼ばれ、戦前から戦中の日本で最も国民に親しまれ た戦艦と言われてい...
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